珠玉ピックアップ
「童子」6月号 「珠玉童子」より (選句・鑑賞/辻 桃子)
 

  山凍てて雪に汚れのなかりけり       安部元気

 真白な雪だ。「一山が凍てる」と大きく掴み取ったことにまず驚く。凍て山という季題は、冬の山としては当然すぎて、今まで誰も使ったことがなかったのではないか。さらにその満目の雪山の限りに微塵の汚れもないと言い切った。只々清浄な雪の白だけ。あとはもう静まり返るのみだ。
 

  灯おぼろ千人風呂に声のみが        小倉わこ

 凍てついた山には地獄と呼ばれる温泉があり、熱々の湯が噴きだしている。千人が入れる湯といえど、ぼんやり灯りかあるばかりで、渦巻く湯気に人影は見えない。たまに人声がおぼろ気に。「灯おぼろ」でかえってその暗さが浮かび上がる。

  をんな玉乃湯をとこ玉乃湯雪しづる     石井みや

 玉乃湯という温泉に、女湯と男湯があるのだろう。どちらの湯屋も、湯の温みで屋根の厚雪が垂ってきている。呪文のような繰り返しに、「をんなをとこ」の命を賛美するような俳諧味がにじみ出ている。

  雪に降る雨に音ある余寒かな        桜庭門九

 冬の北国でも、すこし寒気が緩めば、雪は雨になる。積もった雪に強い雨が降り音がたつ。一度春めいてきてからは、その音は格別だ。やわらかに沁み込むみように、心の扉を叩くように。雨が凍ると寒さはつのるが、それでももう「余寒」と作者はつぶやく。

  主より遅く着きしや湯治の荷        石井鐐二

 昔の湯治は期間が長く、自炊だったから荷物も多かった。馬車を頼んで運んでもらったりしたが、その荷がやっと届いた、という物語を思った。掲句は現代で、荷物は宅配便かもしれない。そうかもしれないが、だが「湯治の荷」という一語に、なんとも古めかしく懐かしい心地がする。

  

  谷深く流れて水の温みけり         依田 小

 雪の残る深谷の底に一筋の流れが見える。その水も温んできた、とたったそれだけのことだが、一物仕立てで、一句全体が谷底を流れ下る一本の川のようにするすると詠み下されて、するすると水が温んできたように感じられる。これが一物の句のよろしさだ。

  半東(はんとう)に男の子もまじり梅まつり       篠原喜々

 水は温み、里ではもう梅まつりが開かれている。半東は飯頭(はんとう)さんのこと。梅林の茶店などで料理の運びなどをする人のことだ。忙しく立ち働くねえさんたちの中に、男の子もまじっていたという。おやっと作者は目をとめた。くりくりした目の、よく働きそうな中学生くらいの子を思い浮かべた。

  梅まつり消防隊の演奏も            根岸かなた

  法被着し女火消しや梅まつり        西田東風

  救急の実演もあり梅まつり          脇阪うたの


  裏木戸を出るやいきなり春の泥      中島鳥巣

 梅まつりの茶店だろうか。裏木戸までは砂利を敷きつめた庭園なのに、一歩出るやぐんにゃりと靴の沈む春泥のぬかるみ。もうそこは裏山なのか。春の泥の本意が鋭く写生されている。

  一の午朝から演歌流れをり         吉池 遊

 いつもは静かな山のお稲荷さんなのに。一の午の今日ばかりは朝早くから、ガーガー演歌を流している。朱の鳥居が並び、ずらりと初午の幟が風にはためき、さあ、烏賊焼、たこ焼、カルメ焼、綿飴、ヨーヨーなどの屋台が一斉に店開きするのが目に見えるようだ。

  雛壇の御殿の内も夕暮れに         安藤ちさと

 雛を飾ったにぎやかな一日もそろそろ夕方に。たそがれがしのび込んできて、ああもう雛の御殿の中はすっかり夕暮れの闇。天皇制という長い歴史まで思わせる。

  向かう岸こちら岸にも春の鴨         長澤ゆふみ

 素朴な繰り返しの描写に、残る鴨ののんびりした感じが出ている。

  刷り上がりたるは遺筆よ雪柳         高橋らら

 亡き中小雪さんが編集してくれた『イチからの俳句入門』が刷り上がった。雪柳が満開なのに、小雪さんはもういない。ららさんは「主婦の友社」の小雪さんの後輩で、同じ編集仲間だ。たくさんの仕事をしてきた小雪さんの最後の仕事には、深い思いがあることだろう。私たちにとっては一句一句が遺筆だ。このつかの間の生を大切に生きてゆこう。


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