珠玉ピックアップ
「童子」11月号 「珠玉童子」より (選句・鑑賞/辻 桃子)
 

  包帯を洗ふ八月十五日           松本てふこ

 若いてふこさんにとっては、八月十五日は暦の上での終戦の日だ。怪我も死ぬほどのものではなかったろう。だが、その終戦の年に生まれた私などにとっては「八月十五日」と「包帯」といえばたちまちに戦争中の冷房もない病棟などが浮かび上がる。洗っているのは従軍看護婦だ。血と傷と汗の臭いがたちこめる。俳句は怖ろしい。
 

  日盛や水満々の大盥            梅田 越前

 照りつける極暑の午後だ。大盥には水が満々と。西瓜でも冷やすのか、日向水を作るのか。なににせよ読者はいよいよの暑さを体感するのだ。

  日盛を(あね)三六角(さんろっかく)(たこ)(にしき)            下泉 暁

 照りつける極暑の午後だ。姉三六角蛸錦と呪文を唱えながら迷宮の奥に入ってゆく、そんな感じがする。実はこれ京都の旧市街を東西に走っている通りの名を詠みこんだ歌の文句だ。姉小路通り、三条通り、六角通り、蛸薬師通り、錦小路通りの略。この前後もあって丸太町から九条通りまで続く。

  琉金や文書(もんじょ)に「金魚養玩(きんぎょそだて)(ぐさ)」        篠原 喜々

 琉金は赤と白の斑で、龍宮城の乙姫のように長い尾や鰭をひらめかせて泳ぐ。その琉金について調べることがあったのだろうか。書かれていたのは「金魚養玩具草」という文書だった。この古くさい書名が琉金の謎をいよいよ深める。

  勉めよと一言賜ふ中田みづほ(みづほ)の忌     石井 鐐二

 作者は若いときにたった一度だけ、中田みづほ先生の句会に出席したことがあったそうだ。その時「勉めたまえ」と一言賜わったという。その簡素な一言から、中田みづほという俳人の魂が伝わってくる。
  まだ生きていたよワハハと炉に坐る   みづほ
  雁ついに見えずなりたりホッとする    〃

  水澄んで百人分の茹で玉子         小川をうる

 茹で上げた玉子がまだ水に浸けてあるのだ。澄んだ水と真っ白な玉子。お客が百人は来るのだろう。こんなところにも「水の秋」が来ているのだ。

  待宵のティファニーで買ふ指輪かな     大神 龍

 訪れるはずの人を待っている宵だ。俳句では陰暦八月十四日の夜。待っているだけじゃない。指輪まで用意して、それもティファニーの宝石だ。こんなふうに待たれてみたいものだ。

  ビル街に潮の香りや休暇明け        遠藤 ちこ

 東京も実は海の街。浜松町あたりだと、時として東京湾の潮の匂いがする。それが休暇明けであれば、身のひきしまるかんじ。

  船の絵の背中へつづくアロハシャツ     石井野里子

 船の絵のプリントシャツだ。まるで裾模様のように背中の方までつづいている。こんな発見で、それを着ている人の背中の広さまで伝わってくる。

  香典も書きし硯を洗ひけり          松本 みち

 一年に一度、七夕の前の日に「硯を洗う」のが季題だ。むろんお祝いを書くのにも使ったのだが、哀しみのことは忘れられない。そんな硯だ。

  風呂敷の中で祭の鈴しやらと        石郷岡芽里

 この風呂敷、祭衣裳やしごきや鉢巻などが入っているのだが、持ち上げたとたんに鈴の音が。さあ、祭の夜だよ。

  復興の花火や五分続けさま         小田切知佐美

 打上花火が五分もつづけさま、と言ったらいったい何百発になるのだろう。いや何千発かもしれない。それが「復興」を祝う花火だ。逆に、災害がいかに酷いものだったかを思わせて辛い。

  スープ熱く飲めば動きぬ山の霧        永島エレニ

 濃く熱いスープ。濃く厚い山霧。山は晴れてくるのだろう。

  日傘さす男が二人碁会所へ          西村 小市

  いつまでも痒き乳房の虫刺され         贄川いずみ

  口髭の伸びし男子や夏休み          中泉 さえ


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