「童子」8月号 「珠玉童子」より (選句・鑑賞/辻 桃子) |
両切りのピースを吸うて白靴で 井上明未 「両切りのピース」といえば波多野爽波を思い出す。それゆえか早くに亡くなった。私の父もピースを吸っていた。「白靴」といえば塚本邦雄を思い出す。お目にかかった時、「あなたが辻桃子さん。注目していますよ」とおっしゃった。上下の白い麻服、白靴で、黄色いネクタイと靴下を履いていた。みな、戦後のいい男たちだった。 |
春興や砂漠にみたてたる布も 西沢 爽 舞台の上に一枚の砂色の布が敷かれている。「月の砂漠」の場面だろうか。観客はすぐにその布が砂漠だと見立てて納得するのだ。楽しい。意表をついた「春興」だ。 |
郁乎忌の豊かに渋きワインかな 篠原喜々 「豊かにしぶき」がいい。加藤郁乎とは本当に豊かで渋みのある人であった。忌日の句はつきすぎるくらいがいい。 |
風流を説くや緑雨のころ逝かれ 中 小雪 風流を説かれたのは加藤郁乎だった。時には常識を外れて文学に狂い、私には風狂の人と思えた。 |
郁乎忌や飲んで怒つて拍手して 小林タロー 酒を飲んでは文学を語り、過ぎれば喧嘩となり、わけもわからず、その一生に拍手しているのは、私かもしれない。 |
私も聞きなれない。唯一、加藤郁乎氏だけは使っていた。「不如帰(ほととぎす)」とは、まさに。 |
永井荷風は洋食が好きだった。寿司や蕎麦より朝のクロワッサンが好きだったという。世間の常識や通念でなく、原典に当たれ、というのが優れた考証家でもあった加藤郁乎氏の生き方だった。 |
弁当の蓋ですくひし山清水 唐木トム 弁当箱以外に何の持ち合わせもない。山清水の傍らで弁当をつかい、食い終えればその蓋で清水を汲む。簡素、素朴でうまい水だ。 |
一本の棒が背骨や武者人形 高橋羊一 芯の棒が見えてしまうほど古い人形か。きりりと立たせるにはその芯が必要なのだが、これは武者の精神というものにも、作者の根性というものにも思える。 |
気に入りの籐椅子に猫死にてをり 田代草猫 私も十七年猫を飼っていた。いつも出かけてばかりの私と娘たちとが家にいる日に死んだ。いつでも、いつまでも悲しい。 |
逢ふときはいつも聞き役冷奴 佐藤 信 「冷奴」に取り合わせる言葉は、愚痴や独り言が多いが、此処では「逢うふとき」がよかった。冷奴が艶っぽい句になった。 |
訪ねれば浦島草と留守の札 飯塚千寿 一人釣糸を垂れるような「浦島草」が面白い。 |
丸眼鏡四角眼鏡も神輿振り コスモメルモ 丸眼鏡、四角眼鏡。神輿振りなのに眼鏡づくしとは。事実の可笑しさ。 |
春潮を越え六人の住む島へ 下泉 暁 はるばると春潮を越えて来たのは、わずか六人が暮らす島だった。「越え」とダイナミックに詠んだところが春潮に響き合う。 |
茎立やとくんとくんと湖の波 ふく嶋桐里 小さな器に水を注ぐように。大きな器の湖の「とくんとくん」がいい。 |