珠玉ピックアップ
「童子」5月号 「珠玉童子」より (選句・鑑賞/辻 桃子)
 

  小野道風(たうふう)も手島右卿(いうけい)もあり獺祭          堀切玄蕃

 道風は小野(をのの)(たかむら)の孫で三蹟と称された平安時代の書家。右卿は書が現代美術として世界に注目されるきっかけとなった現代の書家だ。この二人の作品が並んでいる書展だろうか。折しも川獺(かはうそ)が獲えた魚を並べることを祭に見立てた「(をそ)の祭」の季節だ。獺祭(だっさい)は転じて、詩文を作るときに多くの書物をひろげちらかすことにもたとえられる。この季題の取合せが愉快。

  初鶏の乾びきつたる鶏冠かな           梶川みのり

 まさに枯れきった老鶏。乾びきった鶏冠がクローズアップされるが、また一つ年をとったことをめでたくも感じる句。

  美鳥逝くつぶやくやうに雪解けて        島田万峯

 美鳥さんとも長いおつきあいだった。いつも明るく賑やかで、楽しそうに大声で「落ち込んでいたのよ」などと言っていた。この珠玉の一句、美鳥さんから万峯さんへの真の贈り物だ。

  初蝶の影が放心してをれば            浜崎素粒子

 ふっと視界をよぎる影に目を上げれば、あれは初蝶か。仙人になれなかった杜子春が夢から覚めた瞬間のような。

  重傷や猪にやられし猟犬は             佐藤 信

 狩の句。猟犬が猪にやられたのだ。その場にいた者でないとわからないリアリティー。

  撃ちてきし鹿肉春の炉に焙り            田代草猫

 これも狩の景。今撃ってきたばかりの鹿を春窮の火に焙った。音や匂いまで伝わるようだ。

  送りたる仏とほのく雪間草              赤川 蓉

 葬列を送って見えなくなるころ。そこの雪間に草があった。春なのに寂しい、寂しいけれど、春がそこに来ている。そんな句だ。

  北開く誰もほめてはくれないが           しの緋路

 「北開く」は、冬の間締め切って寒さを防いでいた北窓を、春になって開くこと。昔ながらの風習で、気持ちまで新しくなる。誰に褒められなくてもやるのである。切ないが、明るい。

  (しつ)(らひ)白砂(はくさ)小貝(こがひ)や雛遊び              篠原喜々

 雛の日の部屋の設いだ。美しい白砂を敷いた上に桜貝や子安貝が並んでいる。これだけで晴の日の音曲やごちそう、客たちの衣裳まで目に浮かぶ。竹取物語には「うちうちの設ひには、いうべくもあらぬ綾織物に絵をかきて、間毎に張りたり」とある。

  かうもりの釘隠しなる雛の間            藤井なづ菜

 蝙蝠は西洋では夕方から出る不吉なものと考えられているが、東洋では本来吉祥とされた。音読みの「蝙蝠(へんぷく)」が「福」に通ずるというのだ。釘隠しには吉祥紋が多い。それを雛の間に見つけたのが面白い。

  凍てたればあらはになりし瀧の裏         舟まどひ

 その場にいたからこそ詠めるのは、この句も同様。近頃は全面凍結する滝が少なくなった。凍らなければ、そこに行かなければ見られない滝の裏側だ。

  盆梅の幹の太さよ短さよ               田中たみ

 盆栽の梅が「盆梅」。江戸時代に流行したが、現代人から見ると、小さな鉢に太い幹が多少グロテスクにも見える。そこを即物的にとらえた面白さ。

  海苔網を手繰る小舟や振れ激し          加藤ときこ

 新海苔を採る舟だ。有明海など大量に採るところでは、今はローラーで引くようだが、これは小舟での手作業。そこを丁寧に見た。

  雪深き一代(いちだい)(さま)に行きつけず             古川くるみ

 津軽では新年に、その年の干支を祀る神社(一代様)に詣でる習慣がある。道教の名残りだろう。あまりにも雪が深くて境内にたどり着けない。雪の上に鳥居の笠木が見えるだけといった感。いかにも津軽だ。

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